知識はいくら持ってても重荷にならない。
私の母はとてもリアリストで、
おかしいと思ったことは絶対に曲げない、ちょっと頑固なとこがある人だ。
まぁ私も若干その血筋を受け継いでるわけですが。
そんな母ですが、私はこの母がたまに言う、知識はいくら持ってても重荷にならない、と言う言葉が好きだったりします。
母は自身が高卒ということを昔から気にしてか、私には大声で言わなくても何に付け、学歴は高いに越したことはない、と言うようなことを言っていた。
大卒でしかもそこそこ有名なところでさらにそれが大企業、もしくはそれなりの福利厚生を持っている会社へのルートになることを疑っていない。
正直私の卒業大学が凄く有名かと言われると…世間ではそこそこ有名かもしれないが、私は単純に行きたいから行った(しかも一般受験だけど行くことを疑わなかった←今考えると成績が特別良かったわけでもないくせに、謎でしかない。笑)
それに正直、リーマンショックと東日本大地震に被って就職難で、全然就活に成功したなんて思ってない笑
だからこの学歴社会論については疑問が残るけど、
知識は重荷にならないっていうのは確かだなと今特に感じる。
大学受験は私の人生でおそらく1番勉強した期間だった。それは自信を持って言える。
でもそれは、結局大学受験のための勉強でしかなくて、終わって仕舞えばチリのように1日で忘れたし笑
ぶっちゃけその知識、、、日常生活で必要かい?っていうのも多かった。笑
大量の試験問題を解く、
その集中力と、ある程度の試験感みたいなのは鍛えられたものの、そんなの終わって仕舞えば薄れるしキープできない。
ならば日常生活にも活かせるような知識を持つべきじゃないのか?
自分が常日頃貰う給料で払う保険料のこととか、
源泉徴収のこととか、
株とか投信、
冠婚葬祭マナーもそうだし、相続の問題とか、
さらに発展すると、役職がつけば指導する立場になる人もいるだろうし、どうすれば上のものとして下を指導していくのか、そのマネジメント力、
そういう実践的なこと。
学校では絶対教わらないけど生きてく上で避けられないような問題。
そういう知識を、身につけて、
自分から考えていかないといけないなと最近強く思う。
そういう時母のこの言葉をふと思い出すのだ。
知識は重荷にならない。
むしろ巡り巡って自分を助ける。
資格勉強で受かる受からない、仕事で役に立つかとかも重要だけど
1番はその知識が自分の身になることだと思う。
少しずつだけどそういう知識を新しく身につけたい。